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メゾン マルジェラとは?ブランドの歴史と足袋・REPLICA香水

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メゾン マルジェラ完全読本 ―
「顔のないデザイナー」が遺した、白い余白の思想

襟の裏に縫いつけられた、四隅を白い糸で留めただけの無地のタグ。ロゴはなく、ブランド名すらない。けれどそれを「知る人」だけが、すれ違いざまに静かに気づく――それがメゾン マルジェラ(Maison Margiela)です。創設から35年以上、このメゾンは「服そのもの」以外のすべてを削ぎ落とすことで、逆説的に最も語られるブランドのひとつになりました。本稿は、創設当初からのコアファンにも新たな発見があるよう、その思想と歴史を可能なかぎり深く掘り下げます。

すべては「名前を消す」ことから始まった

ファッションがデザイナーの個人崇拝へと加速していった1980年代後半。スーパーモデルが時代を象徴し、デザイナー自身がセレブリティとして消費されていく潮流のなかで、たった一人、真逆へ歩いた人物がいました。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela) です。

彼は顔を見せませんでした。インタビューは基本的にファックスのみで受け、回答はつねに「私(I)」ではなく「私たち(We)」――つまり「メゾン(家)」という集合体の言葉として返されました。ランウェイのフィナーレで拍手を浴びることもなく、ショーの最後に登場してお辞儀をする慣習を、彼は一度も行いませんでした。確認できる本人の写真は事実上存在せず、流通している数少ない一枚すら真偽が定かでないと言われています。

これは奇をてらった演出ではなく、明確な思想でした。「デザイナーという人格を消すことで、見る者の視線を服そのものへ戻す」。ロゴに支配されず、肩書きに惑わされず、ただ目の前の一着の構造と素材だけを見てほしい――。マルジェラの全仕事は、この一点に貫かれています。

興味深いのは、この「匿名性」が単なる謙遜やシャイネスではなかった点です。デザイナーが神格化され、その私生活までが商品化されていく――マルジェラはその構造を冷静に見抜き、意識的に拒否しました。広告には自分の名を大きく載せず、ブティックの内装は床から什器まで真っ白に塗りつぶし、スタッフは全員が白衣を着て個を消す。一見ストイックなこれらの選択は、すべて「服の前では誰もが平等であるべきだ」という強い倫理から生まれています。匿名であることは、彼にとって最大の自由であり、最も雄弁な表現手段だったのです。

服が主役であって、つくり手が主役ではない。

マルタン・マルジェラという人物

マルタン・マルジェラは1957年、ベルギー・リンブルフ州のヘンク(Genk)に生まれました。幼少期から服飾に強く惹かれ、人形のための服を縫っていたという逸話が伝わります。とりわけ少年期に出会った1960年代の白いフューチャリズム――宇宙時代を思わせるクレージュやパコ・ラバンヌの真っ白な世界に魅了されたことが、後年のメゾンを覆い尽くす「白」への偏愛につながった、と本人がのちに語っています。

身近に手仕事の文化があったことも見逃せません。彼は祖母の仕立てや髪結いの手元を間近で見て育ったと伝えられ、布を裁ち、形を与えていく工程への眼差しは、ごく早い時期に養われていました。流行の表面ではなく「服がどう成り立つか」という構造への興味――これがマルジェラの生涯を貫く視点になります。ティーンエイジャーの頃には、すでにパリ・コレクションのスケッチを描いては独自に手を加えていたともいわれ、十代にして“服を疑い、つくり替える”素地が形づくられていたのです。

彼が学んだのは、ベルギーの名門 アントワープ王立芸術アカデミー。ここで一点、コアファンほど正確に押さえておきたい史実があります。マルジェラはしばしば「アントワープ・シックス」の一員と紹介されますが、厳密には“6人”には含まれません。アントワープ・シックス(ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ヴァルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ビッケンバーグス、ダーク・ヴァン・セーヌ、マリナ・イー)は1986年にロンドンで合同発表して名を上げた世代ですが、マルジェラはそれより一足早い1979〜80年頃に卒業し、彼らと群れることなく単身パリへ向かいました。同じアカデミーの空気を吸った「同郷の先達」ではあっても、“シックス”そのものではない――この距離感が、彼の一匹狼的な立ち位置を象徴しています。

パリでの転機は、ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタント(1984〜1987年頃) を務めたことでした。ゴルチエはマルジェラの卒業コレクションに強い印象を受けて彼を採用したと言われ、後年、自身が育てた才能がメゾンを立ち上げることを後押しします。なお、のちに現クリエイティブ・ディレクターとなるグレン・マルタンスも、同じアカデミー出身・ゴルチエ門下という奇妙な符合をたどることになります(詳しくは後述)。

1988年、メゾンの誕生 ― そして「もう一人の創設者」

1988年、マルジェラはパリで自らのメゾン Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ/MMM) を設立します。法人名は「Neuf SAS」。そして最初の公式コレクションは、1989年春夏として パリ・コレクション の場でお披露目されました。

ここで絶対に外せないのが、ジェニー・メイレンス(Jenny Meirens) という存在です。彼女なくしてマルジェラは語れません。ブリュッセルで先鋭的なブティック「Crea」を営み、ヨウジヤマモトやコム デ ギャルソンのベルギーでのショーも手がけていた敏腕の実業家・キュレーター。マルジェラの才能にいち早く惚れ込み、ビジネスと戦略のすべてを引き受けました。マルジェラが「デザイン」を、メイレンスが「メゾンという構造」を担う――その完全な共生関係こそがMMMの土台です。

語り草となっているエピソードも豊富です。彼女はモデルを街角でスカウトし、あえてファッションの世界とは無縁の人々を起用しました。そして何より――後述する 「無地の白いタグ」を発案したのも彼女 だと言われています。「名前のない服を店で見たとき、人はかえって強く惹きつけられる」。これはメイレンスが残した言葉です。1989年のデビュー作で初期最大の話題をさらった伝説のショーは、パリ20区の小さな遊び場で、近所の子どもたちが客席に混じるなかで行われました。きらびやかなランウェイの常識を、最初の一歩からひっくり返してみせたのです。

四つの白いステッチ ― ロゴを持たないという最大のロゴ

メゾンを象徴するのが、襟裏に縫いつけられた 無地・白布のタグ と、それを留める 四隅の白い糸(4ステッチ) です。

最初期、このタグには何も印字されていませんでした。文字もロゴも一切ない、ただの白い布。しかも四隅をゆるく留めただけなので、着用者が望めば糸を切って簡単に外せる――「ブランド名を身につけたくない人は外していい」という、徹底した思想が込められていました。ところが皮肉なことに、外側からわずかに覗くその四つのステッチこそが、「知る人ぞ知る」最強の識別記号になっていきます。ロゴを拒否したことが、結果として唯一無二のロゴになったのです。

「白」は単なる色ではありません。メゾンにとって白は 「埋められるのを待つ余白」。アトリエのスタッフが着る白衣(ブルーズ・ブランシュ)は、オートクチュールの職人たちへのオマージュであり、ヒエラルキーを消すための制服でもありました。さらにメゾンは「白い生地が時とともに黄ばみ、経年の痕跡を残していくこと」さえ肯定します。白は無垢であると同時に、時間の経過を最も雄弁に記録する色でもある――この両義性が、マルジェラの美学の核にあります。

0〜23 ― 数字でできた宇宙地図

1997年5月、メゾンは新しいタグを導入します。白布に 0から23までの数字 を黒で並べ、その服が属するラインの番号だけを 丸で囲む という、あの有名なシステムです。これは時系列でも序列でもなく、「カテゴリーの座標」。一枚のタグが、カタログであり、索引であり、そしてマニフェストでもある――ファッション史上もっとも知的なブランド設計のひとつです。

0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20 21 22 23
例:「0(アルティザナル)」が丸で囲まれた状態。
実際は、その服が属するラインの数字だけが丸で囲まれます。

主要なラインの読み解きは以下の通りです。なお、すべての番号が常時稼働していたわけではなく、時代によって休止・統合されたものもあります。

※代表的なラインのみ。年代・運用は資料により差異があります。
No.ライン概要
0アルティザナル(女性)パリのアトリエで手作業によりつくられる一点物。古着や廃材を再構築する、メゾンの真髄にして最高峰。
0 10アルティザナル(男性)同上の男性向け。手で再構築された服であることを示す。
1女性コレクション1988年に始まる中核の女性プレタポルテ。脱構築的なテーラリングと静謐なエレガンス。
3フレグランス香水ライン。後述のREPLICAコレクションを含む。
4女性のワードローブ女性向けのベーシック/定番ワードローブ。
6MM6より広い層に向けた女性ライン。現在は独立ブランド的に展開。
8アイウェア眼鏡・サングラス。
10男性コレクション1999年春夏に始動した中核の男性プレタポルテ。
11アクセサリー(男女)2005年〜。バッグ、ベルト、革小物、ジュエリーなど。
12ファインジュエリー2008年、ダミアーニ・グループとの協業で展開。
13オブジェ・出版物家具的オブジェや書籍など、服以外の表現。
14男性のワードローブライン4の男性版にあたる定番ワードローブ。
22シューズ女性は1998年〜、男性は2008年〜。足袋を含む象徴的フットウェア。

ちなみに、1989年春夏のデビュー作だけは番号を持たない「無地の白タグ」でした。メゾンの“顔”として唯一プレタポルテ・ウィークで発表される特別な存在だったためです。こうした例外まで含めて愛でられるのが、このシステムの奥深さです。

COLLECTOR’S MEMO ― タグで年代を読む

ヴィンテージのマルジェラを蒐集するファンにとって、ケアタグ(洗濯表示)は“身分証”です。とりわけライン10・14(男性)は、年とシーズンを示すコードが刻まれていることが多く、年代特定の手がかりになります。

2010年以降はシンプルに4桁の西暦が記され、その後ろの「1」が春夏、「2」が秋冬を表します(例:2014年秋冬=20142)。

2001〜2009年頃は「COMM番号」と呼ばれるシリアル状のコードが用いられ、末尾の数字が年とシーズンを示します。さらに古い時代は「COLLECTION PRINTEMPS ETE(春夏)/AUTOMNE HIVER(秋冬)」の表記と年号で判別します。タグが褪色・脱落していると特定困難なため、ルックブックとの照合が王道。模倣品も多いため、真贋判定は実績ある鑑定サービスの利用が安心です。

脱構築(デコンストラクション) ― 服を「分解して、見せる」

マルジェラを語るうえで避けて通れないキーワードが デコンストラクション(脱構築) です。レイ・カワクボ(コム デ ギャルソン)やジュンヤ・ワタナベと並び、彼は「服を一度バラバラにし、つくり直す」という思考の革命を主導しました。

具体的には――

  • 縫い代やステッチを表に出す:本来は内側に隠す縫製の痕跡を、あえて表面化させる。
  • 裏地・芯地・仮縫い(トワル)を“完成品”として見せる:未完成に見える状態こそを意図的に提示する。
  • 肩のラインを解体する:人体の構造から服を一度切り離し、平面(2D)として捉え直す。
  • ほつれ・色あせ・破れを肯定する:完璧な仕上げという「常識」への静かな反抗。

当時のファッションは、クリーンなカッティングと完璧な仕上げで「上流の装い」を演出するのが主流でした。マルジェラはその真逆を提示します。けれどそれは単なる破壊ではありません。「服がどうやって成り立っているのか」をあらわにすることで、衣服という存在そのものを問い直す――きわめて思索的(セレブラル)な行為だったのです。この思想は、いまや無数のメゾンに受け継がれ、現代ファッションの共通言語になりました。

裾を縫わずに残す、肩のパッドをあえて覗かせる、仮縫いの線をそのまま意匠にする――いまでは多くのブランドが当たり前のように用いるこれらの表現は、その源流をたどればマルジェラに行き着きます。ヴェトモン、バレンシアガ(デムナ期)をはじめとする2010年代以降の「脱構築リバイバル」も、彼が30年前に確立した文法の上に成り立っています。直接の弟子を持たず、声高に語ることもなかった一人の男が、これほど広く深く後世を規定した例は、ファッション史を見渡しても稀です。マルジェラは流派ではなく、思考の様式そのものを遺したのです。

リサイクルと「アルティザナル」 ― ゴミから生まれる一点物

脱構築と双子の関係にあるのが、リサイクル(再生) の思想です。これを最も純度高く体現するのが、ライン0=アルティザナル(Artisanal) コレクション。

マルジェラは、蚤の市で見つけた古着、割れた陶器の皿、使い古しのスカーフ、さらには 金髪のウィッグ までも素材として服に組み込みました。ウィッグを縫い合わせてつくられた「髪の毛のコート」、欠けた皿をボディに連ねたベスト、キャンディの包み紙やコルクを再構成したアクセサリー――どれも「不要とされたもの」に新たな生命を吹き込む試みです。大量生産・大量消費の時代に、メゾンは半世紀先回りして「アップサイクル」を実践していました。

その思想を構造化したのが、「レプリカ(Replica)」というコンセプトです。1990年代前半に始まったこの試みでは、毎シーズン約30点の古着――蚤の市などで見つけたヴィンテージの一着――を選び出し、寸分たがわず複製しました。そして複製された服には、「オリジナルがいつ・どこでつくられたか」を記したタグが添えられます。「複製は単なるコピーではなく、記憶の保存である」――この発想は、のちに香水ライン「REPLICA」へと受け継がれ、メゾンの哲学を象徴する言葉になっていきます。

足袋(Tabi) ― 日本から生まれた、メゾン最大のアイコン

日本の読者にとって誇らしい事実があります。マルジェラの最も有名なアイコン――つま先が二つに割れた 足袋(Tabi) は、日本の伝統的な足袋・地下足袋から着想を得たものなのです。

足袋は記念すべき 1989年春夏のデビューコレクション から登場し、以後35年以上にわたってメゾンの背骨であり続けています。親指と他の指のあいだが割れた、あの独特のシルエット。初見では強烈に異形でありながら、履き込むほどに足に馴染み、唯一無二の存在感を放つ。「奇妙さ」と「機能美」の両立こそ、マルジェラの真骨頂です。ヒール付きのタビブーツ、フラットなタビバレエ、スニーカー版と、半世紀近く更新され続け、いまも新作のたびに即完売を生むカルト的人気を誇ります。

足袋と並ぶ名作が、「レプリカ(Replica)」スニーカー。元はドイツ軍のトレーニングシューズ(German Army Trainer=GAT)を忠実に再現したもので、いまや無数のブランドが模倣する“ジャーマントレーナー系”スニーカーの源流です。「既存の名品を敬意とともに複製する」というメゾンの思想が、ここにも一貫して流れています。

MANIAC MEMO

「足袋」は英語圏でも“Tabi”表記。欧米のファッション業界で日本語がそのままアイコン名として定着した稀有な例です。コアな海外ファンが“タビ”と発音する様子は、日本人としてどこかくすぐったい誇らしさがあります。

足袋以外にも、メゾンには「これを知っていれば一目置かれる」コードがいくつもあります。

ひとつは トロンプルイユ(だまし絵) の手法。タンクトップやジャケットの“写真”をそのままプリントした服、肌に描いたように見えるタトゥーのトップス、人体のヌードを写し取ったような「ボディ」シリーズなど、「本物そっくりの偽物」を真顔で提示する遊び心は、マルジェラ的ユーモアの真骨頂です。

もうひとつは 誇張されたプロポーション。実寸よりはるかに大きく仕立てた「サイズ74(巨大化)」シリーズや、人体を覆い隠すほどのオーバーサイズは、「服は身体に従属する」という前提そのものを揺さぶります。仕立て用ボディ(ドレスフォーム)の形状をそのまま服にした「ストックマン」のジャケットも、メゾンの象徴的なオブジェ的衣服です。

そして忘れてはならないのが、1994年から続くチャリティTシャツ。エイズ啓発のために生まれたこのアイテムは、収益が支援にあてられる社会的メッセージを帯び、いまも作り続けられています。前衛性と倫理性を矛盾なく同居させる――ここにもメゾンの一貫した姿勢がにじみます。

マルジェラと日本 ― 深く、静かな共鳴

足袋が象徴するように、マルジェラと日本のあいだには特別な縁があります。そもそも彼が世に出た1980年代後半のパリは、川久保玲(コム デ ギャルソン)や山本耀司といった日本人デザイナーが「黒」「アシンメトリー」「未完成の美」でモード界を席巻した、いわゆる“反ファッション(アンチ・モード)”の時代でした。マルジェラの脱構築は、彼ら日本勢が切り開いた地平と深いところで響き合っています。実際、評論家はしばしばマルジェラを川久保玲やジュンヤ・ワタナベと同じ系譜――「服の常識を疑い、つくり直す思想家」――として語ります。

加えて、日本はマルジェラにとって最も熱心な市場のひとつであり続けてきました。完璧な仕上げよりも「素材と構造の正直さ」を尊ぶ価値観、過剰な装飾を削ぎ落とす美意識、そして経年変化(侘び・寂び)を肯定する感性――これらは、白い余白と時間の痕跡を愛したマルジェラの思想と、驚くほど自然に重なります。足袋という日本由来のアイコンが、ベルギー人デザイナーの手を経て世界的名作となり、再び日本のファンに深く愛される。この往復運動こそ、マルジェラと日本の関係を象徴しています。

伝説のショー ― 服を「腐らせた」メゾン

メゾン マルタン マルジェラのショーは、つねに「会場」そのものが作品でした。

デビュー作の遊び場(パリ20区)に始まり、廃駅、使われなくなった地下鉄構内、スーパーマーケット、駐車場、サルベーション・アーミー(救世軍)の倉庫など、華やかさとは無縁の場所が次々と舞台になりました。モデルたちはしばしば布や髪、マスクで顔を覆われ、個人の「顔」が消されます。すべては「服そのものを見よ」という一貫したメッセージのためでした。

なかでも語り草となっているのが、1997年、ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館での展示です。メゾンは微生物学者と協働し、白い服にバクテリアやカビ(酵母)を培養しました。展示期間中、服は文字どおり腐敗し、変色し、朽ちていきます。「時間の経過が衣服に残す痕跡」を、生命と腐敗のレベルで作品化してみせた――これほどラディカルに“時間”を主題化したファッション表現は、後にも先にもほとんど例がありません。

また、創設20周年の節目には、過去の代表作を再制作し、それらを白く塗りつぶして展示するという回顧も行われました。「白=余白=記憶の上書き」というメゾンの思想を、自らの歴史に対して適用してみせたのです。

もう一つの顔 ― エルメス時代(1997〜2003)

ここでコアファンが最も「うなる」一章を。実はマルタン・マルジェラは、自身のメゾンを率いる傍ら、1997年から2003年まで、エルメス(Hermès)の女性プレタポルテのアーティスティック・ディレクターを務めていました(この交渉をまとめたのも、盟友ジェニー・メイレンスです)。

驚くべきは、その作風の 完全なる落差 です。自身のメゾンでは服を解体し、ほつれや腐敗すら肯定した男が、エルメスでは真逆の表現に振り切ります。脱構築はいっさいなし。あるのは、究極に静かで、タイムレスで、触覚的な「クワイエット・ラグジュアリー」。カシミア、レザー、上質なニットの肌ざわりだけで語る、ロゴも装飾もない大人の服。ミニマルで、控えめで、しかし途方もなく贅沢。

つまりマルジェラには 「二つの手」 がありました。常識を破壊する前衛の手と、伝統を極限まで磨き上げる職人の手。この両極を同時に操れたことこそ、彼が単なる“奇抜なデザイナー”ではなく、衣服の本質を知り尽くした稀代の表現者であった何よりの証拠です。なお、彼の退任後、エルメスの同職を引き継いだのは――かつての師、ジャン=ポール・ゴルチエでした。

このエルメス時代は、近年あらためて再評価が進んでいます。2017年にはアントワープのファッション美術館 MoMu とパリで「Margiela: The Hermès Years(マルジェラ、エルメスの時代)」と題した展覧会が開催され、当時のコレクションがまとめて公開されました。派手な“事件”を起こさず、むしろ静けさのなかに最高峰の技術を注ぎ込んだこの6年間は、長らく彼のキャリアの「隠れた半身」とされてきました。けれど時間が経つほどに、その先見性――流行に左右されない、肌に触れた瞬間にわかる本物の質感への偏執――が、現代の価値観に深く響くようになっています。前衛と古典は対立するものではなく、「本質を見抜く目」という一本の軸の上で同居しうる。マルジェラはそれを身をもって証明した、ほとんど唯一のデザイナーでした。

ディーゼル傘下へ、そして創設者の静かな退場

2002年、メゾンの経営権は レンツォ・ロッソ率いるディーゼル(後のOTBグループ/Only The Brave) が取得します。共同創設者ジェニー・メイレンスは2003年、自らの株式をロッソに譲渡して引退。メゾンを支えた「もう一つの心臓」が、こうして静かに退きました。

そしてマルタン・マルジェラ自身も、2009年をもってメゾンを去ります(最後のコレクションは2009年春夏として2008年9月に発表されました)。退場の仕方すら、彼らしく劇的ではありませんでした。公式な引退宣言の演出もなく、ただ静かにアトリエを後にしたのです。

特筆すべきは、その後の 2009年から2014年まで、メゾンには名前のあるクリエイティブ・ディレクターが不在だったこと。匿名のデザインチームが「メゾン(家)」の名のもとに服をつくり続けました。創設者がいなくなっても回り続ける――それは「個人ではなく集合体(We)」を貫いてきたメゾンの思想が、皮肉にも最も美しく証明された期間でもありました。

ジョン・ガリアーノの時代(2014〜2024) ― 詩人がメゾンを蘇らせた

2014年、レンツォ・ロッソは大胆な人事を発表します。スキャンダルによって表舞台を追われていた天才 ジョン・ガリアーノ(John Galliano) を、新たなクリエイティブ・ディレクターに迎えたのです。マルジェラがガリアーノに与えた唯一の助言は、「自分のものにしなさい(Make it your own)」だったと伝えられます。

ガリアーノは見事にその言葉に応えました。2015年、ブランド名は 「Maison Martin Margiela」から「Maison Margiela」へ――“Martin”が外され、創設者の時代と新章とが静かに切り分けられます。彼はマルジェラ譲りの脱構築・再構築を尊重しつつ、自身の代名詞であるバイアスカット(生地を斜めに裁つ技法)や「デコルティケ(décortiqué)=服の構造をあらわにする独自技法」を持ち込み、男女を一つのショーで融合させる「Co-ed」形式を確立。退廃と詩情に満ちた、唯一無二の世界をつくり上げました。

そのクライマックスが、2024年春夏のアルティザナル・コレクションです。パリ・アレクサンドル3世橋の下で行われたこのショーは、パット・マグラスによる陶器のように透き通る「グラス・スキン(ガラスの肌)」のメイク、関節人形のように崩れる歩き方、そしてレオン・ダムの伝説的なウォークによって、SNS時代のファッションを文字どおり震撼させました。「クチュールはまだこれほどの衝撃を生めるのか」と世界が再認識した、ひとつの事件でした。

このショーが象徴するように、ガリアーノはマルジェラの遺産を“博物館の標本”として保存するのではなく、生きた創作のエンジンとして再起動させました。彼が持ち込んだバイアスカットの流麗さ、19世紀の娼館やパリの裏路地を思わせる退廃的な物語性、古着を解体して別物に仕立て直す「Recicla(レシクラ)」のシリーズ――どれもマルジェラの「再生」「脱構築」というDNAを、ガリアーノならではの詩情で語り直したものでした。創設者の哲学と、迎えられた天才の個性。この二つが対立せず、むしろ化学反応を起こしたことが、メゾンを再び世界の中心へ押し上げた最大の理由です。スキャンダルから再起したデザイナーが、匿名を貫いた創設者の家で“もう一度語る力”を取り戻す――その物語性もまた、多くの人の心を掴みました。

しかしこの絶頂の直後、2024年12月、ガリアーノは10年に及ぶ任期を終えてメゾンを去ります。あまりにも鮮やかな引き際でした。

グレン・マルタンスの新章(2025〜) ― 三人目のクチュリエ

2025年1月、メゾンは新しいクリエイティブ・ディレクターを発表しました。ベルギー人デザイナー グレン・マルタンス(Glenn Martens) です。

彼の経歴は、マルタン・マルジェラと不思議なほど重なります。ベルギー出身(ブルージュ)アントワープ王立芸術アカデミー卒、そして ジャン=ポール・ゴルチエのもとで研鑽――マルジェラがたどった道を、約30年の時を隔ててなぞっているのです。Y/Projectで革新的なカッティングと実験精神によって名を上げ、現在はディーゼルのクリエイティブ・ディレクターも兼任。OTBのレンツォ・ロッソは「マルタンがメゾンに命を吹き込み、ジョンが世界で最も先鋭的なクチュール・ハウスへと高めた。そして私は今、三人目のクチュリエを迎えられることを誇りに思う」と語りました。

2025年7月、パリのカルチャーセンター「ル・サンキャトル(104)」の地下空間で行われたマルタンスの デビュー・アルティザナル・コレクション は、中世フランドルの装飾美を思わせる重厚な opulence(豪奢さ)に貫かれていました。金属の仮面、溶けた金属のように波打つメタリックオーガンザのガウン、そして壁から剝がれかけたポスターのような「だまし絵(トロンプルイユ)」の宮殿内装――マルジェラが愛したトロンプルイユへの目配せを含みながら、まったく新しい荘厳さを提示してみせたのです。二人の偉大な先人を継ぐという困難な使命に対し、マルタンスは確信に満ちた第一歩を刻みました。メゾンの物語は、いままさに新たな章へと入っています。

マルジェラ、再び語る ― 沈黙のあとに

ここで、創設者その人の“その後”に触れておきましょう。長く沈黙を守ってきたマルジェラですが、2010年代後半から少しずつ、その「声」が表に出るようになります。

2018〜2019年には、パリのモード美術館 パレ・ガリエラ で大規模回顧展「Margiela/Galliera 1989-2009」が開催されました。特筆すべきは、マルジェラ自身がこの展示の構成を手がけたこと。20年にわたる自らの仕事を、当人が編集し、並べ直し、語り直す――匿名を貫いた男が初めて見せた、静かな“自伝”でした。

2019年には、ドキュメンタリー映画 『マルタン・マルジェラ:イン・ヒズ・オウン・ワーズ』(ライナー・ホルツェマー監督)が公開されました。本人がナレーションを担い、自身のキャリアを率直に振り返るという、ファンにとっては事件的な作品です。それでもなお徹底していたのは――映画に映るのは、彼の“手”だけだったこと。顔は最後まで見せない。語りながらも匿名を守るという、矛盾のようでいて完璧に一貫した姿勢に、多くのファンが胸を打たれました。

引退後の彼は、ファッションの世界からは距離を置き、現代美術家として新たな表現に向き合っています。2021年にはパリのアートスペースで自身の作品展も開かれました。服という媒体を離れてなお、「何が価値で、何が無価値とされるのか」を問い続ける姿勢は変わりません。デザイナーという肩書きすら脱ぎ捨て、彼はいま、一人の表現者として静かに歩み続けています。

創設者は静かに退き、メゾンはガリアーノを経てグレン・マルタンスへと受け継がれました。けれど「服そのものを見よ」「価値は誰が決めるのかを問え」という根のメッセージは、つくり手が替わっても消えません。マルジェラが遺したのは一着の名作ではなく、ものの見方そのものだったからです。

香水という「記憶の複製」 ― REPLICAコレクション

服を直接手に取るにはハードルが高くても、メゾンの哲学に最も親しみやすく触れられるのが フレグランス(ライン3) です。なかでも世界的なロングセラーとなったのが、REPLICA(レプリカ)コレクション

その思想は明快です。前述したファッションの「レプリカ=古着の忠実な複製」というコンセプトを、香りに置き換えたもの。すなわち 「特定の瞬間・場所の“記憶”をそのまま瓶に閉じ込める」。ボトルは古い薬瓶(アポセカリー・ジャー)を思わせるデザインで、ラベルには香りが再現する「場所」と「年」が記されています――これは、かつてレプリカの服に付けられた「オリジナルの製造地・製造年」のタグへのオマージュにほかなりません。細部にまで思想が一貫している点こそ、コアファンが愛してやまない理由です。

香水事業はL’Oréalとの協業で展開され、2010年の 「(Untitled)」 を皮切りに、2012〜2013年からREPLICAコレクションが本格的に花開きました。以下、代表作をいくつか。

REPLICA / Jazz Club(ジャズ クラブ)

調香:アリエノール・マスネ|2013年|トップ:ピンクペッパー・レモン・ネロリ/ミドル:ラム・クラリセージ・ベチバー/ラスト:タバコリーフ・バニラ・トンカビーン

薄暗い地下のジャズバー。ラムの甘やかさと葉巻の香りが立ちこめる夜の空気を写し取った、温かくスモーキーな一本。秋冬の定番として絶大な支持を集めるメンズ寄りのユニセックス。▶ 詳しいレビューはこちら

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REPLICA / By the Fireplace(バイ ザ ファイヤープレイス)

調香:マリー・サラマーニュ|2015年|栗・バニラ・スモーキーウッドを軸にした、暖炉の前の甘くやわらかな煙の香り

焼きたてのマシュマロ、薪のはぜる音、冬の山小屋。「行ったことのない記憶」さえ呼び起こすと評される、コレクション屈指のアイコン。Jazz Clubと人気を二分する名作です。▶ 詳しいレビューはこちら

REPLICA / Beach Walk(ビーチ ウォーク)

調香:ジャック・キャヴァリエ&マリー・サラマーニュ|2012年|ベルガモット・イランイラン・ココナッツミルク・ムスク

真夏の砂浜、日焼け止めの匂い、温かい砂。太陽を浴びたような多幸感のあるサマーフレグランス。軽やかで万人に愛される入門編としても最適。▶ 詳しいレビューはこちら

REPLICA / Lazy Sunday Morning(レイジー サンデー モーニング)

調香:ルイーズ・ターナー|2013年|スズラン・アイリス・ホワイトムスク

洗いたてのシーツに包まれた、何もしない日曜の朝。清潔で穏やかな石けんのような香りは「布のような匂い」とも評され、ジェンダーを問わず支持されています。▶ 詳しいレビューはこちら

ほかにも、雨上がりの空気を写した「When the Rain Stops」、図書館の古書を思わせる「Whispers in the Library」、淹れたてのコーヒーの「Coffee Break」など、コレクションは“情景”の数だけ広がり続けています。「どんな匂いか」ではなく「どんな記憶か」で香りを選ぶ――この体験そのものが、マルジェラというメゾンの思想を最も手軽に、しかし最も深く味わわせてくれます。

もうひとつ、コアな楽しみ方として知られているのが 「レイヤリング(重ねづけ)」 です。REPLICAは香り同士を重ねて新しい情景をつくることを公式にも提案しており、たとえばJazz Clubのラムとタバコに、バニラ基調の甘さを持つ別の香りを一吹き重ねると、より立体的で“あなただけの記憶”が立ち上がります。肌に主役の香りを、衣服に脇役の香りを――といった具合に纏う場所を変えるのも上級者の手。ひとつの瓶で完結させず、自由に編集していける余白こそ、ロゴではなく“余白”を愛したメゾンらしい遊び方です。

選び方のヒント

はじめての一本に迷ったら、複数の香りを少量ずつ試せるディスカバリーセット(お試しサイズの詰め合わせ)が便利です。Jazz Club・By the Fireplace・Beach Walkなど人気作が揃ったセットなら、自分の「記憶」に最も響く香りを、失敗なく見つけられます。

コアファンのための小ネタ集

10 THINGS ONLY FANS KNOW

本人写真は事実上“存在しない”。流通する数少ない一枚すら真偽不明とされる徹底ぶり。

取材はファックスのみ・主語は常に「We」。個人ではなく「メゾン(家)」が答える。

フィナーレでお辞儀をしない。デザイナーが拍手を浴びる慣習を一度も行わなかった。

アトリエの全員が白衣。クチュール職人への敬意と、ヒエラルキー排除の象徴。

2018〜19年、パリ・ガリエラ宮で大回顧展。マルジェラ自身が構成を手がけた「Margiela/Galliera 1989-2009」。

ドキュメンタリー映画が存在する。『マルタン・マルジェラ:イン・ヒズ・オウン・ワーズ』(2019)では、本人が語るが映るのは“手”だけ。

引退後はアーティストへ。近年は現代美術家として作品を発表している。

2015年に“Martin”が消えた。ガリアーノ就任を機にブランド表記が「Maison Margiela」へ。

レプリカ・スニーカーはGAT(ドイツ軍トレーナー)の複製。“ジャーマントレーナー系”の源流。

クラシックなアイコンバッグ「5AC」「Glam Slam」。静かなラグジュアリーを物語る定番。

なぜ、いまも私たちはマルジェラに惹かれるのか

近年「クワイエット・ラグジュアリー(静かな贅沢)」という言葉が世界中で語られています。ロゴを誇示せず、わかる人にだけ伝わる本物の質感を重んじる価値観――。けれど思い出してください。それを 35年以上も前から実践していたのが、ほかでもないマルタン・マルジェラでした。白い余白、外せる無地のタグ、解体された構造、再生される古着、そして「記憶を複製する」香り。彼が問い続けたのは、つねに 「服とは何か」「価値とは誰が決めるのか」 という根源的な問いでした。

その問いは、消費のスピードがいよいよ加速する現代において、むしろ年々鋭さを増しています。流行が一週間で塗り替えられ、ロゴが価値の代名詞になりがちな時代だからこそ、「名前を消すことで本質を残す」というマルジェラの思想は、静かな抵抗として今も輝いています。創設当初からのファンが今なお熱心に語り継ぎ、新しい世代が次々とその扉を叩く理由は、ここにあるのでしょう。

マルジェラを愛するということは、単に服や香りを所有することではありません。それは「与えられた価値を疑い、自分の目で本質を確かめる」という態度を選ぶことに近い。四つの白いステッチを身につける人は、ロゴで語る代わりに、構造で、素材で、そして“わかる人にだけ伝わる静けさ”で自分を語ります。声高でないからこそ深く、控えめだからこそ揺るがない――そんな成熟した美意識を持つ人にとって、このメゾンはいつまでも特別な居場所であり続けるはずです。

四つの白いステッチは、これからも変わらず、襟裏でそっと囁き続けます――「服そのものを、見てほしい」 と。

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